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【ひと・こと つながる環 vol.5】 シュタイナー療育センターの森尾敦子さんに聞く 個性が花開く治療教育

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 北アルプス地域で活躍する「人」にフォーカス。地域で事業や活動をしている人、ものづくりや場づくりに取り組んでいる人を紹介する。    

 長野県松川村で多機能型事業所や企業主導型保育園を運営する「シュタイナー療育センター」代表理事の森尾敦子さんに話を聞いた。

ーーー シュタイナー教育や療育に出合ったきっかけは?

 私は東京都の出身で、公立保育園の保育士をしていました。シュタイナーを知ったきっかけは、ドイツ文学者でシュタイナー教育にも造詣が深い子安美知子さんの勉強会に参加した姉から薦められたことです。シュタイナーの哲学は難しいから実技から学ぶといいといわれて、カルチャーセンターのオイリュトミー講座に参加しました。オイリュトミーとはシュタイナーが創った運動芸術のことで、当時は東京でもはやっていましたね。

 講座を受けて興味を持ちシュタイナーに関する本を読み始めましたが、それをどう教育の場で実践するのかが分かりませんでした。「前へ倣え」のように規律を求める日本の教育に対して、「もっと自然体で良いのでは?」とも感じていました。保育士として成長してシュタイナーの理念に基づく良い教育を実現したいとの思いで、ドイツに留学してシュタイナー教育を学ぶことにしました。


ーーー シュタイナー教育は、オーストリアの哲学者ルドルフ・シュタイナーの理念に基づいた教育ですね。どんな点に共感しましたか?

 シュタイナーの教育にしても療育にしても、芸術教育である点に感動しました。歌や踊りを通して、身体をケアして感性を育むことができます。歌が聞こえれば耳を傾ける。障がいがあってもなくても、それは同じですよね。一人一人の個性を尊重している点にも感銘を受けました。その子自身が興味を持ってやりたいと思うかどうかが大事です。園では、毎日1時間半の散歩や、干し柿やリンゴチップスを作ったりパンをこねたりと、実物教育を重視しています。


インタビューに答える森尾さん


ーーー 2年間のドイツ留学では、シュタイナー幼児教育の権威であるフライヤ・ヤフケ先生の幼稚園で学びましたね。特に印象に残っている言葉はありますか?

 シュタイナー幼児教育養成所で1年、フライヤ・ヤフケ先生の幼稚園で1年間の実習を通して学びました。ヤフケ先生から教えを受けて、とても奥が深く一生をかけて取り組むテーマだと思いました。その時の基礎がなければ今の自分はありません。先生は惜しくも今年亡くなられましたが、印象的だったのは「十分な準備なくして良い仕事はない」という言葉。子どもに接するにもまず準備が必要です。私たち職員は毎朝子どもと出会う前に発声練習をします。クラスではよく歌を歌うので、その前に職員が声を整えておく必要があるのです。

 それから、「手入れを通して物の大切さを学ぶ」こと。自然素材で作られたものは常に手入れが必要です。「物を大切にしなさい、物を投げてはいけません」と言うのではなくて、子どもたちが自然素材のおもちゃを自らワックス掛けをしたり手入れをしたりすることで大切に扱うことを学ぶのです。ワックス掛けやガラス拭きも教育の一部なのですね。


教室には自然素材で作られたおもちゃが並ぶ


ーーー シュタイナーについては日本ではあまり知られていませんが、ドイツではどうですか?

 ドイツではもっと一般的なもので、私が留学した専門学校の同級生に「わざわざシュタイナーを学ぶためにドイツまで来たの?」と驚かれました(笑)。ドイツでは大きな都市には1、2校はシュタイナー学校がありますね。


ーーー  帰国後、1990(平成2)年に「横浜シュタイナーこどもの園」を設立しました。

 ドイツでシュタイナー幼児教育の資格を取って帰国しました。その翌年に、以前運営していた小さな無認可幼稚園のシュタイナー教育に興味のある保護者の方々と一緒に「横浜シュタイナーこどもの園」を創設し、教師として働きました。

 人生の転機は、授かった2番目の娘が重い障がいを持って生まれたことです。今度はシュタイナーの治療教育を学ぼうと家族そろってもう一度ドイツに渡ります。私は、シュタイナーの特別支援学校の助手をしたり、グループホームでの実習をしたりして2年間を過ごし、夫はシュタイナー治療教育のゼミナールを卒業しました。
 
 
ーーー  2011(平成23)年に松川村で「シュタイナー療育センター」を設立しました。松川村を拠点に選んだ理由は?

 それまでは、素晴らしい幼児教育を実現したいとの思いで活動していましたが、求めてくれる人がいる場所で求められていることをしたいと思うようになりました。障がいを持つ子の親になって内的に大きく変わった部分です。松川村を拠点に活動するようになったのは、たまたまこの地域の人たちとのご縁があったからです。

 松本市でのシュタイナー講習会に講師として呼ばれたことがあり、その際に大町市に住む方と知り合いになりました。ドイツに滞在している間、その方が家財道具一式を預かってくれたのです。そんなご縁もあって、地域の方とも知り合いになりました。

 こちらに移り住んで何から始めようかと考えていた時に、近所のパン屋さんから子どもが自閉症と診断されて困っている人がいるから相談に乗ってほしいと言われました。その方がわが家に通い始めたのですが、本当に大変な思いをされていて、相談だけでなく預かることに。それが口コミで広がり、わが家に人が集まり始めました。松川村でこの土地を見つけて、場所づくりに賛同する人と松川村の議員や社会福祉協議会の方の応援もあり、2012(平成24)年に「光こども園」を開園しました。

 横浜シュタイナーこどもの園は認可にこだわらず無認可で運営していましたが、光こども園の開園に当たっては認可を取りました。障がいを持つ親の身になってみて無認可保育園には通わせられないと感じたからです。障がい児の療育にはたくさんの人手が必要で、当センターでは保育士以外にも理学療法士や作業療法士、言語聴覚士、医師など経験やスキルを持つ43人の職員が働いています。その人件費は必然的に高額になります。保育園であれば3年間で卒業しますが、障がいは一生のものなので、高額な月謝を払い続けることは現実的ではありません。なので理想の場所を認可で作ることにしました。


ーーー  センターを設立して10年になりますね。これまでを振り返ってみるとどうですか?

 開園以来いつも満員で、来年まで待機者がいるほどです。「ほとんど入れない光こども園」ともいわれています。子どもにシュタイナー療育を受けさせる目的でこちらに移り住む家族もいますが、各自治体の保健師さんからの紹介で通園する子どもが多いです。最近は、通った子どもの変化から口コミでも広がっています。「シュタイナーだから通わせたい」というよりも、その効果を求めて通う方が多いですね。

 
ーーー  療育を受ける子どもにはどんな変化がありますか?

 ここは家庭的な雰囲気なので、通う児童からすれば訓練に行く施設というよりは、たくさん遊べるもう一つの家といった感覚ではないでしょうか。個人差はありますが、話せなかった子が言語聴覚士の助けを借りて話せるようになったり、じっと座っていられなかった子が座れるようになったり。何より情緒面が安定します。毎年、県の監査の方が来ますが、「いろいろな療育施設を回っていても、ここの子どもの表情は良い」と言います。

 私たちが目指すのは、その子の個性が花開くこと。何かをできるように訓練するというよりは、楽しいから伸びるのだと思います。リラックスした良い状態で過ごせると、その子なりにできることが後から付いてくるものです。


自然の中で伸び伸びと遊ぶ児童


ーーー 2014(平成26)年に成人のための仕事場「森の工房」を、2018(平成30)年にグループホーム「くるみの家」と企業主導型保育園「シュタイナー保育園 星の光」を開いています。村内で4カ所の施設を運営していますが、これからどんなことを実現したいですか?

 どれも当初から計画していたわけではなく、それぞれ必要とする人がいたので開所しました。「森の工房」は、放課後等デイサービスに通っていた「安曇養護学校」高等部の生徒が、卒業後もここのようなリラックスした環境で働きたいとの要望から生まれた施設です。そこで働く人も含めて5人が「くるみの家」で共同生活をしています。「星の光」では、職員の子どもと地元の子どもが通っています。最近では、月1回のこどもカフェも始めました。

 苦しんでいる人や困っている人に対して何かしたい、求められることに応えていきたいという気持ちがいつもあります。一方で、手いっぱいでやりきれない部分も出てきます。高い理想を求めつつ、現実とうまくコミットさせていくことが私たちの仕事だと思います。


ーーー 活動の背景には常に必要とする人の存在があるのですね。すてきなお話、ありがとうございました。


光こども園の園庭で
一般社団法人シュタイナー療育センター

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