特集

【ひと・こと つながる環 vol.7】 池田町でビオホテルを経営する北條裕子さんに聞く「オーガニックという生き方」

  • 0

  •  

 北アルプス地域で活躍する「人」にフォーカス。地域で事業や活動をしている人、ものづくりや場づくりに取り組んでいる人を紹介する。    

 オーガニックのスキンケア用品「華密恋」の製造・販売、ビオホテルジャパン認証を受けた「カミツレの宿 八寿恵荘」を経営する「SouGo」(池田町広津)の北條裕子社長に話を聞いた。


 

ーーー  元々はお父様の晴久さんが創業した印刷会社ですね。いつ頃から会社を継ぐことを意識しましたか?

 父は池田町の里山である広津地区の出身です。高校卒業後に上京し、そこで出会った人との縁で1959(昭和34)年に東京都中央区で「相互印刷工芸」を創業しました。私は一人娘で、幼い頃から会社を継ぐものと思っていました。母の話では、既に幼稚園の時に「父の秘書になりたい」と言っていたそうです(笑)。父の仕事を直接見て育ったわけではないですが、社員との交流は多かったですね。会社の野球部員が家に来たり、社員旅行に一緒に行ったりと。私にとって父は怖い存在で、地元の人たちには穏やかな顔も見せましたが、家や会社では厳しかったですね。中学校に入ると、夏休みには印刷の手伝いにも行くようになり、学生時代には池田町の物産展で全国の百貨店での販売に同行しました。

 私は東京で生まれ育ちましたが、毎年夏休みになると池田町の祖母の家に滞在して、蚕(かいこ)の世話や野菜作りを手伝ったものです。かつてこの地域では養蚕業が盛んで、私は学校の自由研究で蚕について調べたことも。地域の行事にもよく参加しました。里山の雰囲気は変わりませんが、当時に比べると住民は随分少なくなりました。


インタビューに答える北條さん


ーーー  現在の主軸になっているスキンケア事業を始めたきっかけは?

 父が喉頭がんを患ったことが大きな転機になりました。病院の医師から切除するしかないと言われた日は、家族3人で大泣きしたことを覚えています。母が「夫の一生をこれで終わらせてはいけない」と、わらにもすがる思いで相談したのが、ある漢方の薬学博士でした。ジャーマンカモミールの効能を研究している方でした。

 初めは自社事業として行うつもりはなく、取引先の大手化粧品会社に企画を持ち込んだのですが、製造工程からオーガニックである点に理解を得られませんでした。印刷業とは畑違いでしたが、父は自分の命を救った植物の力で、人々の健康の役に立ちたいという思いでスキンケア事業を始めます。入浴剤の誕生が1982(昭和57)年。日本人のお風呂習慣に着目して受け入れられると見込んでの商品化でした。


ーーー  1984(昭和59)年には広津地区の山林を開墾して、カミツレ研究所と八寿恵荘を開設しましたね。

 父が故郷である池田町に貢献したいとの思いで始めたものです。八寿恵荘については、初めは社員の保養施設として始めたものですが、地元の方からも利用したいとの声があり、旅館業許可を取り一般の宿泊客の受け入れを始めました。宿の名前は祖母の名から取ったものです。


カミツレの宿 八寿恵荘


ーーー  「カミツレ」はジャーマンカモミールの和名ですね。当初からオーガニックにこだわって製造していますが、販路開拓など苦労したのでは?

 当時はバブルの絶頂期で、スキンケア事業を始めるに当たり父が銀行に話をしに行ったところ、支店長から「香料も着色料も入れていない商品なんて売れないからやめた方がいい」と言われたと。「一番大切なことを分かっていない」と怒った父は主要取引銀行にもかかわらず取引をやめてしまった(笑)。父は一度決めたことは最後まで貫く人でしたから。

 全国の物産展でお客さまに商品の説明をしても初めは半信半疑といった感じだったので、サンプル品を配りました。結果、会場が設定した売上目標金額を上回るようになったと父から聞いています。催事の度にお客さまから聞いた意見を取り入れながら商品を増やしていきました。


ーーー  先見の明がありましたね。今でこそオーガニックが社会に定着している感はありますが、当時は状況も大きく違ったでしょうね。生活者の意識の変化を感じますか?

 父は戦争で親友を失ったことや病気で寝たきりの伯母を看ていたりして、健康や元気でいることにとても関心がありました。それまでに無かった加工食品などが増えて食に大きな変化が起きた時期でもありました。家では玄米食を取り入れたり、池田町で祖母が作る土付きの野菜を東京に持ち帰って得意先に配り歩いたり、当時は変わり者と思われたでしょうね(笑)。

 今ではオーガニックの大切さが社会に認識されてきていると感じます。特に30~40代を中心に考え方やライフスタイルが変わってきています。花粉症やアトピーが増えたり、自然環境の変化から危機感を感じる人が増えたからだと思います。かつてはオーガニックであることがいかに大切かを説明する必要がありましたが、今では共感する人も増えて当時に比べると販売の苦労が減りました。


初夏に咲き渡るカミツレ


ーーー  全国の百貨店のオーガニック系の売り場などで商品を販売していますが、ブランディングの際にはどんなことを意識しましたか?商品パッケージのデザインがすてきですね。

 私はスキンケア部門を任されて約20年になりますが、まず取り組んだのは商品を置く店舗の見直しです。それまではドラッグストアなどの量販店にも置かせてもらっていたのですが、安く売られてしまったり、他の安い商品と比較されたりしてしまう。商品の価値を理解してくれる店に置いてほしい、どこでどんな人が買ってくれているのかを把握したい。そんな理由で、それまでの取引先に頭を下げて商品を回収し、新たな販路を開拓していきました。

 9年ほど前にパッケージのデザインを刷新しました。私の中学校からの同級生でグラフィックデザイナーとして活躍する粟辻美早さんにデザインをお願いしています。


館内にレイアウトされたスキンケア商品


ーーー  同級生のデザイナーが手掛けたものとはすてきな縁ですね。「八寿恵荘」は日本で初めてビオホテル認証を受けた宿ですね。ビオホテルはドイツ・オーストリアを中心に始まった取り組みです。こだわった点や苦労した点は?

 10年以上前からアトピーや乳がんの方向けのツアーを行っています。住宅の溶剤が原因でアトピーになる方や若くして乳がんを患う方も増えてきています。特にそうしたお客さまには健康的な食事を取ること、ストレスフリーであることが重要です。どんな方にでも安心して来てもらえる宿にしたいとの思いで、2015(平成27)年にオーガニックをコンセプトに宿のリニューアルを考えました。その構想段階で日本ビオホテル協会の中石和良さんに出会い、意気投合し認証を受けることにしました。認証の条件として、主に食とコスメティックがオーガニックであることが求められます。野菜もただ有機認証のものを使えいいのではなく、遺伝子組み換えされていない種であることや土壌の状態も明確でないといけない。生産農家に栽培方法を含めて確認することに苦労しました。

 館内には主に長野県産の木材を使っています。本物の木に触れていると体にためている電磁波を吸収してくれますし、足からチップボイラーの温みを感じてもらえる。住宅溶剤も環境や体に配慮した自然素材のものを使っています。ビオホテルの認証も手伝ってか、近年はヨーロッパなど海外からのお客さまにも利用していただく機会が増えました。日本ならではの自然を満喫したいという需要も増えてきているように感じます。


県産材を使った館内


ーーー  日本のオーガニック市場は増加傾向にありますが、アメリカやヨーロッパに比べるとまだ規模は小さいですね。今後、日本での可能性は?

 ヨーロッパではオーガニックが文化・ライフスタイルとして定着しています。ドイツの有名なオーガニック化粧品会社に視察に行った際に聞いた話ですが、現地では雪が降ってもチェーンを巻かないそうです。というのもチェーンを巻くと道路が傷むからと。生まれた瞬間から環境に配慮する考えが根付いているんですよね。

 日本でもSDGsが掲げられていますが、ビニールバッグやペットボトルを減らすなど一つ一つの行動がオーガニックにつながる考え方です。これを行動に移していかないと健康で気持ち良い生活を続けていくことができなくなるので、今後ますます重要になっていくでしょうね。


ーーー これからはどのようなことに力を入れていきたいですか?

 昨年度で印刷部門を閉じ、華密恋、カミツレ研究所と八寿恵荘を中心に据えて事業を行っています。これからはオーガニックの食品や雑貨にも八寿恵荘ブランドとして力を入れていきます。新たな工場の建設も計画中で、ショップを併設し訪れる人がオーガニックや環境を感じて学べるような場所にしたいです。自社商品だけでなく他のオーガニックのブランドも扱い、お互いに協力しながら高め合っていくことも大事だと考えています。

 父の故郷である池田町に貢献しながら、お客さまが健康で美しく過ごすためのライフスタイルを提案できるブランドとして展開していきたいです。

ーーー いろいろな可能性が広がりそうですね。すてきなお話し、ありがとうございました。

カミツレの宿 八寿恵荘

  • はてなブックマークに追加
エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース